”好ましくない観念を、
100%信頼している状態”
だというふうに定義すると、
信頼の仕方を、
学ぶ必要がなくなるんです。
信頼の仕方は知っているんです。
いつも、
何かを信頼していなければ、
「今」、
みなさんが経験しているような現実は、
現れてこないんです。
どうしてかというと、
いつも、
”これが現実である”
”これが真実である”
と信頼していることを、
現実として、
経験しているからなんです。
だから、
問題は、
信頼の欠如ではないんです。
何を信じているのか、
自分の信頼をどこに置いているのかが、
問題になってくるんです。
時々、
本当の自分とは、
方向がずれているところに、
自分の信頼を置くことがあるということなんです。
疑いとは、
”自分にとって好ましくない観念を、
100%信頼している状態である”
こんなふうに定義すると、
”自分に信頼する力がない、
自分にはできないことがある”
という問題が消えて、
”本当の自分とは、
方向性が一致していない観念がある”
ということに気づかせてくれるんです。