”疑う”ということを、
信頼のない状態、
信頼できていない状態というふうに、
定義すると、
まわりから切り離され、
孤立感を感じ始めると思うんです。
そうなってくると、
周りとのつながりを回復するために、
努力をしたり、
何かを学ぼうとするはずなんです。
まわりとのつながりを、
回復させるために、
必要なツールや能力を、
努力して手に入れようと考えていると、
だんだん、
自分には、
能力がないような気持ちになってくるはずなんです。
そうして、
自分には、
できないことがあるという気持ちになって、
そうすると、
その気持ちを表すような行動をしてしまって、
”自分にはできな”というような現実を、
創り出してしまうことになるんです。
だけども、
定義の仕方を変えると、
問題が、
完全に、
消えていくことがわかるはずなんです。
疑いを、
信頼がない状態と定義する代わりに、
”好ましくない観念を100%信頼している状態”
だというふうに定義してみるんです。