”ひとつ”が、
ひとつの状態のとき、
ひとつ以外の存在との関係性がないので、
経験をすることがないんです。
経験することがないということは、
”知る”ということが、
出来ないんです。
そのままの状態で、
ただ、
存在しているだけなんです。
そうして、
”ひとつ”の状態から、
分離して、
自分自身の反映を創り出して、
その反映と、
どんな関係にあるのか、
関係性は何を意味するのか、
知りたいというニーズを創り出しすんです。
”ひとつ”が、
「大いなるすべて」になるとき、
”ひとつ”が、
自分自身を知るためには、
「大いなるすべて」のすべてを、
知ることだからなんです。
”ひとつ”が、
他者になってしまったとき、
他者を理解しなければ、
自分を理解できないんです。
”ひとつ”がひとつのときは、
”知る”必要がないのですが、
ふたつになったときは、
自分たちが”ひとつ”の一部であることを、
理解するためには、
お互いを知る必要があるからなんです。
それは、
ひとが、
”何も知らない”という状態とは、
違うんです。
”知る”という感覚がまったくない、
”ただ有る”という状態なんです。