「大いなるすべて」は、
すべてを体験しているんです。
たくさんあるモニターを、
監視室のようなところで、
眺めるように、
すべてを体験しているんです。
それは、
ひとだったり、
ものだったりするんです。
「大いなるすべて」の外側には、
何もないんです。
「大いなるすべて」のすべてを、
体験しているんです。
そうして、
具体的には、
みなさんひとりひとりが、
「大いなるすべて」の窓、
観測機になって、
体験をしているんです。
みなさんひとりひとりが、
体験していることは、
みなさん自身にしか、
体験できないことだからなんです。
その場所、
その時間を、
体験できるのは、
そのときその場所にいる、
みなさんにだけしか、
できないからなんです。
「大いなるすべて」にとって、
とても貴重な、
大事な体験になるからなんです。
「大いなるすべて」にとって、
貴重な体験だということは、
”ひとつ”にとっても、
大事な体験になるということなんです。
すべての存在は、
”大いなるわたし”のひとつの視点として、
”わたし”を体験しているからなんです。