「今」まで、
パラレルリアリティの分離を、
感じたり、
経験したことがない人は、
多いと思います。
だけども、
これから、
年末にかけて、
2014年のどこかで、
パラレルリアリティを、
感じる瞬間が、
やってくるんですよ。
パラレルリアリティは、
本格始動しているからなんです。
そして、
みなさんの波動も、
パラレルリアリティを、
経験していくのに、
充分、
上昇しているからなんです。
そのときに、
みなさん自身を、
見誤らないでくださいね。
みなさんの「わくわく」の世界へ、
進んでいってくださいね。
みなさんが、
「わくわく」するリアリティを、
選択することを、
不安になったり、
怖がったりしないでくださいね。
もし、
不安や恐れを感じるのならば、
みなさん自身に、
質問をしてみて、
その間違いを、
訂正していってさい。
そうして、
いつもいつも、
自分自身を、
自分の中心に、
戻してあげてくださいね。
いつもいつも、
「わくわく」を感じていてくださいね、
エキサイティングな気持ちでいてくださいね、
そして、
充実した気持ちでいてください。

パラレルリアリティとは、パラレルワールドとは違うんですか?
人間の世界に対するものの見方の種類がパラレルに存在するという感覚でいいんでしょうか。
返信が遅れてすみません。
>パラレルリアリティとは、パラレルワールドとは違うんですか?
パラレルリアリティとパラレルワールドは言葉が違うだけで同じものだと考えています。
>人間の世界に対するものの見方の種類がパラレルに存在するという感覚でいいんでしょうか。
そうですね、良いと思いますよ。
ものの見方の種類であるとか、ひとりひとりの価値観であるとか、
物事に対する反応の仕方であるとか、そのひとがどんな気持ちの状態でいるかということがパラレルに在るということです。
そして、シンクロニシティによって、同じような人達が集まりはじめているということです。
なるほどです。
では自分を変えれば世界が変わるというのは、自分のものの見方が変わることによって
いわゆる世界線を飛び越えている みたいな認識で良いのですね。
あと気になることがあります。
今後十数年をかけてネガティブとポジティブ、その間のパラレルリアリティに分かれるとありますが、実際体験としてはどのように分離していくのでしょうか。
というのは、自分は今鍵盤楽器の練習や音響関係の勉強をしていますが、仮に近いうちこれらの事がポジティブな見方を持って対応できるようになったとして、
その後はどうなるんでしょうか。
また別の興味事や問題が見つかったとき、またどういう物の見方をすればいいのか探るプロセスを通るのか、それともそんなことは無くすんなりやっていけるのか、そもそそういった事と出会いさえしないのか。
ポジティブとネガティブと言っても両極端すぎてよく分からないとこあるのです。
お教え貰えませんでしょうか。
>自分のものの見方が変わることによっていわゆる世界線を飛び越えている みたいな認識で良いのですね。
その通りです。
>実際体験としてはどのように分離していくのでしょうか。
同じような出来事が起きたとき、自分の反応が変わってきます。
今まで、正しいと思っていたことに対して違和感を感じたり、
間違いだと思っていたことが、実は、とても意味のあることだったりというふうに、
感じ方が変わってきます。
その上で行動も変化していくはずです。
>また別の興味事や問題が見つかったとき、またどういう物の見方をすればいいのか探るプロセスを通るのか、
興味ごとや問題というようなことに対する感じ方が変わってくることです。
>それともそんなことは無くすんなりやっていけるのか、そもそそういった事と出会いさえしないのか。
すんなりやっていくのか、どんなことと出会っていくのかを決めるのは、すべて自分自身です。
自分の選択ですよ。
>ポジティブとネガティブと言っても両極端すぎてよく分からないとこあるのです。
これについては、今日の投稿で書いていますのでちらを見てください。
よろしくお願いします。
返信おそくなります。
自分の選択というのは、リアリティとか以前の問題のことでしょうか?
自分はリアリティへの移行ができなくなるということは、有り体に言えば人間の心の成長ができなくなることなんじゃないかと思ってしまうんです。
アセンションやそれに伴う現象に対して、部分的には知っていることや体感していることはあるのですが、全体像がまだ把握できなくて思考が纏まらないのです。
すみません、遅くなりました。
>自分の選択というのは、リアリティとか以前の問題のことでしょうか?
パーソナリティの中に観念のシステムが作られています。
パーソナリティの中の観念は、意識的、無意識的にかかわらず、
自分が選択した観念の集まりです。
複雑に絡み合った観念の中で、一番強く信じている観念を反映して見ているのが現実のリアリティということです。
自分が選択した観念がリアリティを創りだしているということです。
>自分はリアリティへの移行ができなくなるということは、
有り体に言えば人間の心の成長ができなくなることなんじゃないかと思ってしまうんです。
人間のこころの成長が止まるということはあり得ません。
どうしてかというと、人のこころの大元の「大いなるすべて」は、成長がストップすることはないからです。
成長できなくなってしまうという考え方はあると思います。
それも選択できるひとつの観念だとおもいます。
>アセンションやそれに伴う現象に対して、
部分的には知っていることや体感していることはあるのですが、全体像がまだ把握できなくて思考が纏まらないのです。
アセンションをしていくということは、
いわゆる日常からかけ離れた通常では体験できないようなこと体験していくというような印象があると思います。
もちろん、そういう経験をすることもあり得るのですが、アセンションをする上でもっとも大切なことは、
この世界を理解するということだと思いますよ。
目で見ている現実、リアリティはすべてこころの中の反映、強く信じていることを経験しているということ。
経験を創りだしているものは、創造の光であり、無条件の愛の波動であるということです。
創造の4つの法則以外は、すべてひとつの仮定であり、ひとつの考え方であるということを理解すること。
考え方や仮定を通して、現実世界や経験を創りだし、可能性を探求しているということを理解することだと思います。
ネガティブなことを、自由に、ポジティブに変えていけるようになることだと思います。
それから、ひとつひとつの新しい考え方を統一的に理解して使っていけるようになることだと思います。
全体像が理解しにくく感じるのは、ひとつひとつの考え方が別物のように感じられるからだろうと思います。
だけども、ひとつの考え方から始まって、
そこから理解を深めていくと他の考え方とつながりが出てくる瞬間が有るともいますよ。
そして、考え方が循環していることがわかると思います。
もし、考えが纏まりにくいと感じているのならば、一度こんなふうに自分に訪ねてみてはいかがでしょうか?
”どんな観念が自分の考えを纏まらせないようにしているのだろう?”